私の実家は酒販店でした。もともとは酒を造る側ではなく、売る側の人間です。しかし若い頃は日本酒に特別な興味があったわけではなく、お酒といってもビールぐらいしか飲んでいなくて。家業を継ぐ中で日本酒を学ぶために試飲会へ足を運ぶようになり、次第にその奥深さや面白さに惹かれていきました。けれど当時の私はまだ、将来酒蔵で働くことになるとは思っていませんでした。
酒販店を閉じることになった後、まずは接客を学びたいと考え、一年間ディズニーランドで働きました。ゲストへの向き合い方やホスピタリティの考え方は、今振り返っても大きな学びだったと思います。その後、「酒を売るなら、まず造ることを知りたい」という思いから酒蔵へ入りました。最初は一年だけのつもりでした。しかし酒造りの現場に入ると、毎年新しい発見があり、分からなかったことが少しずつ理解できるようになる。その繰り返しが面白く、気づけば酒造りそのものに夢中になっていました。
ある時、日本酒専門店の店主から言われた言葉があります。「君はあと三十回しか酒を造れないじゃないか」。一年に一度しかない酒造りの季節。その言葉を聞いた時、自分に残された仕込みの回数を初めて意識しました。そして酒販店に戻るのではなく、この世界で生きていこうと決めたのです。
その後、いくつかの蔵で経験を重ねる中で、生酛という造りに強く惹かれるようになりました。山廃との違いを知りたい、なぜその酒質になるのかを理解したい。その探究心が大きくなり、もっと深く学べる環境を探していた時に出会ったのが、竹鶴酒造の石川杜氏でした。
当時の私は、生酛をやり始めたばかりでした。思い切って石川杜氏に会いに行き生酛について尋ねたところ、返ってきたのは技術論ではなく「なぜ君は生酛をやるんだい?」という問いでした。その言葉が今でも印象に残っています。酒造りの技術だけではなく、なぜそうするのかを考えること。その姿勢こそが石川杜氏の酒造りの根底にありました。
ご縁が重なり竹鶴酒造の石川杜氏のもとで働くことになりましたが、そこで受けた衝撃は今でも忘れられません。蔵の清潔さ、整理整頓、段取り、仕事の速さ。そして何より、一人ひとりが自分で考えて動くことが徹底されていました。酒造りの工程そのものは同じでも、仕事に向き合う姿勢の次元がまったく違ったのです。
その後、石川杜氏とともに月の井酒造店へ来て六年。「頭」として酒造りに携わりながら、酒そのものだけでなく、蔵をどう運営するのか、人をどう育てるのか、チームをどう動かすのかを間近で学ばせてもらいました。
石川杜氏から受け継いだものは数多くあります。その中でも大切なもののひとつが「発酵を全うさせる」という酒造りです。月の井酒造店ではすべての酒において、発酵が十分に役割を果たすまで見守ります。人の都合で途中で発酵を止めるのではなく、酵母菌が本来持つ力を最後まで引き出す。大洗という場所で、その年の米、水、気候から授かる酒造り。その結果として生まれるのが、食に寄り添い、身体に馴染み、飲んだ翌日も心地よい酒なのです。
2026酒造年度より、私が月の井酒造店の杜氏を務めます。石川杜氏が築き上げてきた酒造りを受け継ぎ、それを途切れさせずに次の世代へつないでいく。それが私に託された役割だと思っています。幸い、今の蔵には同じ想いで酒造りができる仲間がいます。
これからも技術を磨きながら、一人ひとりが考えて動ける蔵をつくり、信頼される杜氏でありたいと思います。酒造りは一人ではできません。先人たちから受け継いだ技術と思想を守りながら、また次の世代へ渡していく。そのバトンをつなぐことが、これからの私の仕事です。そして月の井酒造店の酒を通して、多くの方に食とともにある酒の楽しさ、身体に馴染む酒の心地よさを感じていただけたら嬉しく思います。
杜氏・岩渕 徹 ―いわぶちとおる―
1971年東京都生まれ。酒販店の家に生まれ、家業に携わったのち酒造りの道へ進む。
接客を学ぶため東京ディズニーランドで勤務した後、福岡県の若竹屋酒造場、兵庫県赤穂市の奥藤商事などで経験を重ねる。
生酛造りへの探究をきっかけに広島県の竹鶴酒造へ入蔵し、石川達也杜氏のもとで酒造りを学ぶ。
2020年冬、石川杜氏とともに月の井酒造店へ移り、「頭」として酒造りを支える。
2026酒造年度より月の井酒造店の杜氏に就任。石川杜氏から受け継いだ「発酵を全うさせる」酒造りを礎に、食に寄り添い、身体に馴染む酒を追求している。
岩渕 徹
Toru Iwabuchi