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日本酒との出会いは学生時代、下宿先で毎晩のように飲んでいました。
新しい酒を飲む時には自分なりの儀式があって、居住まいを正して酒と向き合い集中して飲む。
アテは、塩も醤油もつけない冷奴だけ。酒の味をストレートに味わいたかったからです。

ある晩、その儀式の際に、緊張感をもって臨んだはずなのに、はじめて心と体が弛緩しました。
「なんだ、この酒は」と驚き、それからは毎晩、その酒ばかりを飲むようになったのです。
どうやったらこんなに肉体や精神の深いところまで響く酒を造れるのか。
ついには、その酒蔵に飛び込みました。勢いそのままに修業させてもらい、
以来、酒造りの奥深さに魅了され続けています。

酒造りの奥深さに魅了され続けています

月の井では、これまで培ったすべてを注ぎ込んで、大洗の蔵に授かるお酒を造りたいと思っています。
ただ、特別なことをしようとは考えていません。これまで通り基本に忠実に酒造りをすれば、
自ずと月の井の個性が宿ったお酒ができるはずです。

古来、お酒は神に捧げるものでした。
それは、酒造りに、「作」ではなく、「造」という漢字をあてていることからもわかります。
「造」の字には、「祈りを込めてつくる」という意味があり、
お酒以外にも、たとえば建造や造船といった大きなモノづくりに「造」の字が使われています。
昔の人は大きいものに、人智の及ばない畏怖を抱いていたのでしょう。だから、祈る。
家なら地鎮祭や上棟式、船なら進水式、と儀式がともなうのもその表れです。
お酒もおなじで、酒造りには、人間の力を超えた領域がある。
だからこそ、自然の摂理に則って精一杯力を尽くしつつも、祈る。
お酒とはやはり授かりものなのです。

お酒もおなじで、酒造りには、人間の力を超えた領域がある

日本酒の歴史を紐解くと、伝統的な酒造りが完成した江戸時代末期には
日本中のお酒はほぼ生酛造りでした。その意味では、「生酛造り=伝統の粋」といえるでしょう。
手間のかかる生酛は、近代以降、特に、
清酒製造量が急増した高度経済成長期以降あまり造られなくなっていきましたが、
最近になってまた見直されるようになっています。

生酛造りのお酒は、とりわけ緩衝力が高い。今はそれが月の井のお酒の特徴になりつつありますが、
伝統にのっとった酒造りに徹すれば、本来のお酒にあってしかるべき緩衝力が備わるもの。
そして、表面的な味以上に、それこそが授かりものとしてのお酒の本質ではないかと私は考えています。

月の井では、これまで培ったすべてを注ぎ込んで、大洗の蔵に授かるお酒を造りたいと思っています

月の井が創業した江戸時代の世を振り返ると、神に捧げる神事ではもちろんのこと、人が集えば、
そこには常にお酒がありました。現代よりも切実にお酒が必要とされていたといえるでしょう。
本来、お酒とは人間社会において欠くことのできない「必需品」なのです。

「必需品」としてのお酒とは、「生きる力の湧くお酒」です。人間が生きるためには、
「食べる」行為が欠かせません。食べ物をよび、食欲を高めてくれるお酒は、
生きる力を引き出してくれるといえます。そして、もう一つ、人と話したくなるお酒であること。
社会的動物である人間にとって、人と集い、コミュニケーションを取ることは生きていく上で不可欠な本能です。
より円滑なコミュニケーションを促してくれることもまた、人が人として生きる力を湧き上がらせるお酒といえます。

現代は、酒造りの技術が飛躍的に向上した一方で、どこでつくっても同じ酒ができてしまうとも言われる時代です。
今こそ、個性を宿し、人に生きる力を与える必需品の酒が求められていると思います。

お酒とは人間社会において欠くことのできない「必需品」なのです

杜氏・石川達也 ―いしかわたつやー

1964年広島県西条生まれ。広島杜氏組合長。日本酒造杜氏組合連合会会長。
日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会副会長。大学在学中より埼玉県の神亀酒造にて修業をはじめる。
1994年に広島県の竹鶴酒造に入り、1996酒造年度から2019酒造年度まで杜氏をつとめる。
伝統的な技法(特に、酵母無添加の生酛や蓋麹法)の造り手として知られ、杜氏としては初の文化庁長官表彰(2020年度)を受ける。
2020年冬より月の井酒造店の杜氏となる。

杜氏

石川 達也
Tatsuya Ishikawa

蔵元 / 杜氏紹介
Plofile

蔵元

八代目
坂本 直彦
Naohiko Sakamoto

杜氏

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